映画「FAKE」に関する新垣隆所属事務​所の見解

森達也監督の映画「FAKE」公開によって、新垣隆所属事務所である株式会社ノイエスアコルトにも、皆さまから様々なご意見やご心配を頂いております。表現の自由が約束された私たちの社会において、映画制作をし、これを公に発表することそのものに対して、当社は何ら異議を唱えるつもりはなく、できる限り寛容でありたいと考えております。

ただし、事実と異なる劇中の虚偽や誤解を生じさせるような表現に対しては、当事者側として事実に基づく見解を述べる立場にあると認識しております。

つきましては、所属事務所(以下、当社)として、本公式ホームページにおいて下記の見解を示させて頂きます。

【1】映画「FAKE」劇中における佐村河内氏の代理人の発言について

【2】映画「FAKE」劇中における佐村河内氏の新垣隆に対する発言について

【3】映画「FAKE」劇中テロップになった事務所取材拒否の真相について

【4】映画「FAKE」映画公開後の森達也氏の発言について

【5】今後の新垣隆の活動並びに過去の佐村河内氏名義の作品の著作権に関して

 

 

【1】「FAKE」劇中における佐村河内氏の代理人の発言について

新垣隆作曲、佐村河内氏名義の一連の音楽作品の著作権に関する発言で、佐村河内氏代理人と当社では認識の異なる点が多いため、以下当社の見解を記させて頂きます。

◆ 新垣隆が作曲した佐村河内守氏名義の一連の作品の財産的な利益を保護する「著作権」において、2014年12月 佐村河内氏側の要請により、新垣隆は、新垣隆代理人を通じて佐村河内氏名義の一切のそれを放棄する旨を回答しており、財産的な利益は佐村河内氏のものと認めております。

◆ただし、新垣隆作曲、佐村河内守氏名義となっている「ヴァイオリンのためのソナチネ」「ピアノのためのレクイエム」の2作品については、共にある少女に献呈された作品であり、新垣隆が唯一の作曲者としてその名義を認めるよう佐村河内氏側に代理人を通じて要請しております。つまり、この2作品に関して新垣隆は、「著作権」は放棄しましたが、人格的な権利を保護する「著作者人格権」については、今現在も佐村河内氏側の代理人へ要請しております。

◆その後の2015年2月、佐村河内氏側は氏名義の一連の作品において、「佐村河内氏自身も『作曲』に関与した。すなわち『共同著作』であることを認めよ。もし、現在進行中のコンサート企画会社との裁判で敗訴した場合、新垣隆に対して損害賠償請求をする考えがある」との意向を、代理人を通じて伝えてきました。これに関して新垣隆側は一切回答しておりません。その必要がないからです。なぜなら、佐村河内氏は、彼自身が書いた、いわゆる「指示書」が「作曲行為」であると主張しておりますが、根本的に指示書が作曲行為であるという佐村河内氏の主張自体がとうてい認められるものではないからです。

 

映画「FAKE」劇中において、佐村河内氏側の代理人が登場し、「(新垣側から)何も回答がない。逃げている」という発言をしているシーンがあります。逃げているという認識は当社にはありません。

参考までに「放送倫理・番組向上機構(BPO)」の事案「“全聾の天才作曲家” 5局7番組に関する見解」において、作曲者は誰なのか?という点については、以下の結論が既に出ておりますので、引用させていただきます。

『 佐村河内氏には交響曲を作曲する音楽的素養や能力はなかった。委員会が現在把握している資料に基づく限り、対象番組が佐村河内氏の作曲と紹介した曲のうち、実際に作曲したのは「交響組曲ライジング・サン」の一部のメロディに限られている。佐村河内氏が果たした役割は、新垣氏に楽曲のイメージや構想を指示書等で伝えるプロデューサー的なものだった。実際にメロディ、ハーモニー、リズムを作り、譜面にして曲を完成させたのは新垣氏である。』

このように、第三者機関による約1年間の調査・審理の結論があります。騒動からすでに2年以上が経過した今日、双方が代理人を通じて話し合う必要性はありません。新垣隆側が逃げ回る理由もなく、当社としては、ただ佐村河内氏側が自らの虚偽や誤解を認めないだけであるという認識でおります。

 

【2】「劇中の佐村河内氏の新垣隆に対する発言について

(1)作曲に関する発言について

映画「FAKE」劇中において、佐村河内氏が「ぼくはゴーストライター問題とは言わない。あくまで共作問題だ。」と発言するシーンがあります。しかし、氏は2014年3月20日の『週刊新潮』において「新垣氏がゴーストライターをやっている。このことは私と新垣氏だけの秘密でした」と述べていたのであり、今回の発言は、これと主張を変えています。2014年12月、前述の佐村河内氏への著作権帰属の確認を交わしたのち、氏はJASRACにその旨を伝えましたが、「本人の著作とは認められない」として契約を解除されました。それを受けての「共同著作の認定要求」と当社は認識します。

音楽の創作活動において、「指示書制作」は「作曲行為」とは見なされません。ここが「グラデーション云々」と言ってしまえば、例えば、小説における編集者と作家との関係が、「編集者も共同著作者である」という主張を容認するものとなります。また、新垣隆はBPOの聞き取り調査において「彼(佐村河内氏)との関わりの中で、はじめの数年間に携わったもの、すなわち映画音楽とゲーム音楽については、氏の制作した打ち込み音源を素材としているので、自分はアレンジャーであり佐村河内氏のクレジットで問題はない。しかし、それ以降の作品においては、私が全て“作曲”を担当しており、問題が生じる」と報告しています。

(2)聴覚に関する発言について

映画「FAKE」劇中において「新垣が嘘をつく理由がわからない。10年前には筆談していたのに。聴こえることを口止めされていたなどと言って」などの発言があります。しかし新垣隆は、18年間の佐村河内氏との関わりの中で、彼と筆談をした事は一度もありません。楽曲依頼などの打ち合わせは、一般的なごく普通の会話で行われ(もちろん手話通訳者にも一度として会ったことがありません)、何よりもこのやりとりは「音楽作品」に関わるものであったという事です。これには、 1)譜面を読む、2)音源を実際に聴く、という2つの方法しかありませんが、佐村河内氏は譜面を読む能力はありませんでしたので、従って方法は2)しかありません。

なお、氏が2014年2月21日に受けた検査の診断書について、BPOの見解からの引用を掲載しておきます。

「有毛細胞の反応を検査するDPOAE(歪成分耳音響放射:Distortion Product Oto-Acoustic Emission)では、「反応良好」となっている。40デシベル以上の場合、一般に反応は減弱または反応欠如となる。」「医学的には、現在内耳の有毛細胞の反応が良好であり、有毛細胞は再生しないことから、高度の感音難聴があったとは認められない。」

 

【3】映画「FAKE」劇中において、テロップになった「事務所取材拒否」について

映画「FAKE」劇中において、テロップ1行で、「新垣隆所属事務所が取材を拒否した」と表現されていますが、当社が森達也さんの取材を拒否した背景にはしかるべき理由がありました。その理由と経緯を以下、時系列順に説明させて頂きます。

●2015年6月30日

ショッピングモールにて開催された新垣隆著書『音楽という<真実>』のサイン会において、サインを求めるお客様の列の中から、突然ビデオカメラを片手に新垣隆に声をかけ、歩み寄ってきたのが森達也さんでした。現場スタッフも突然の出来事で驚きましたが、沢山のお客様がいらっしゃるサイン会での出来事でしたので、一般のお客様同様に対応させて頂きました。ただ、サイン会後に当社から「事前に承諾を得ていない、突撃取材であり、現場スタッフに確認なしに撮影行為に及んだことは隠し撮りに相当する」として、イベント主催者に対して森達也さんへの抗議を要請しました。しかしイベント主催者から当社に対する返答は、「あくまでも森達也さんがお客様としてサイン会の列に並ばれたので抗議はできない」とのことでしたので、当社はその日、森達也さんに対して抗議はできませんでした。

●2015年9月某日

森達也さんから当社(マネジメント担当者)の携帯電話に、新垣隆への取材要請がありました。その時、当社は森達也さんに対して、2015年6月30日の隠し撮りの行為について抗議をしました。しかし隠し撮りに対する当社の抗議は、森達也さんには受け入れられませんでした。

また、森達也さんから取材依頼の電話をいただいた時期が、新曲「ピアノ協奏曲」の締め切り日や個展(コンサート)の直前ということもあり、新垣隆本人が多忙を極めており、直近でのインタビューは難しい旨の回答をしました。森達也さんからは、「何か取材に応じられない隠し事でもあるのか?」というニュアンスの発言がありましたので、当社としては10月以降であれば取材可能な時間はあるが、まずは取材依頼の内容により検討させて頂きますとして、取材内容を文章にて提示いただくように求めました。

●2015年10月1日

森達也さんから取材依頼の文章が電子メールにて届きました。その内容は「新垣様から見た佐村河内氏像について、彼の聴力などの認識について、ゴーストライターから一転して光を浴びる新垣様について」1時間ほどインタビューを依頼したいというものでした。

●2015年10月3日

森達也さんから提示された取材内容・取材時間を当社内で検討しました結果、新垣隆側の立場では、前述のBPOの見解や著書「音楽という<真実>」において十分に明らかにされている事であり、先日の隠し撮りの件についても、森達也さんの取材姿勢に疑問を抱かざるを得ないとの判断から、取材の辞退を電子メールにて回答しました。これに対する森達也さんからの返信は、今日現在まで一切ありません。

※以下の文章は、プライバシー保護などのため原文のままではありませんが、意味内容を変えるものではありません。

「森達也様

マネジメントの立場として、頂いた森様の取材依頼書を検討させて頂きました。以下、回答とさせて頂きます。

佐村河内氏に関する新垣本人のコメントですが、すでに小学館から出版されている本人著書に記された通りであります。また新垣隆は、すでに第三者的な機関であるBPOに多くの時間を割き調査協力をし、その調査結果もまとめられております。佐村河内氏の聴覚に関しても、新垣本人からこれ以上コメントすることは何もございません。

森様が新垣のサイン会に並ばれて撮影された件に関してですが、森様は、事前にスタッフへビデオ撮影許可を取らず、お客様としてのお立場でサイン会の列にお並びになり、本人と対面するといきなりビデオカメラを回されたと現場スタッフより報告を受けました。

当社が主催(小学館)に対して、森様への抗議を依頼しましたところ、主催者側としては、サイン会にお並びになったお客様であり、一般客向けの書籍サイン会という性質上、抗議ができなかったとの返答を頂きました。つまり森様はお客様だったので抗議をする対象にはならないという回答でしたので、当方もそれに従いました。

しかしながら、アーティストの肖像権を守るマネジメントの立場としては、森様がお客様というお立場で撮影された本人の映像を当方の許可なく、今回取材依頼を頂いた映画において無断で使用されることは容認できません。その旨は何卒ご理解頂ければ幸いです。

以上の理由から、この度の森様の取材依頼は辞退させて頂きたくお願い申し上げます。」

 

【4】映画公開後の森達也さんの発言について

以下、森達也さんの発言に対して当社のコメントとさせて頂きます。

(1)森達也さんの発言その1

「彼(佐村河内氏)は譜面を書けないから、それを誰かに依頼しないといけない。本来自分で譜面を書く勉強をすればよかったとも思うけど。先日もクラシック音楽業界の人から「あの程度の分担は僕らもよくやっている」と聞きました。「自分もゴーストで作曲をやったこともあるし、巨匠と呼ばれる人は主旋律しか書かずに、全部できあがったらその人の曲になる」。」(【本と雑誌のニュースサイトリテラ】より)

 

「彼は譜面を書けないから、それを誰かに依頼しないといけない。」この言葉は「彼の頭の中にはある“音楽”が既に存在しており、あとはそれをある誰かがそのまま具現化(この場合は記譜)する」という意味に解釈できます。この森達也さんの発言は、極めて遺憾だと言わざるを得ません。「譜面は書けないが、打ち込み作業はできる。」「音源の譜面起こしを依頼しないといけない」という意味ならば、映画およびゲーム音楽の時において、佐村河内氏の依頼で、新垣隆はそのような作業を数曲やりました。しかし、その総量は演奏時間にして10分程度のものです。また、後半の「クラシック業界の人」というコメントですが、そのような形はいわば先生と弟子という関係牲、すなわち「徒弟制度」におけるものであり、 新垣隆と佐村河内氏の「”芸術としての音楽作品を具現化する能力がない”者を作曲者(芸術家)とした形」とは異なります。(【1】で述べた「交響組曲ライジング・サン」などの映画・ゲーム音楽を氏の名義としたのは、芸術作品ではない事を前提に「徒弟制度」の形式を借りたからです。)参考として作曲家、笠松泰洋さんのメッセージを引用させて頂きます。

「少なくとも、普通の(クラシックと呼ばれる分野の)作曲家は、作曲する作品については、全ての音符、全ての強弱まで自分で書きます。ある箇所をピアノにするか、ピアニシモにするか、でさえ音楽を左右する大問題で、そこが違っただけで何万もある音符全体の何かが狂って来ます。私も、プロ中のプロが演奏する弦楽四重奏曲だろうと商業演劇で1本の楽曲数が30曲もあるオケのスコアであろうと、全ての音も強弱も、自分で考えに考え抜いて作ります。忙しくて、オーケストレーションを数曲、助手に頼んだ作曲家にやってもらったことが一度だけありましたが、やっぱり、メロディも和音もバスラインまで自分で書いていたのもかかわらず、自分の音になりませんでした。強弱だけでも自分以外の人が書くと、ダメです。そういうものです。第三者に聴いてもらい、意見をもらって書き直すことはしょっちゅうあります。今は実際に演奏する前にシンセのデモで曲を聴くことが出来るので、これで曲そのものの実像はあらかた分かります。そこで自分以外の人や、委嘱者(演奏家やプロデューサー)の意見を聞いて反映することも普通にあります。オペラなら台本の人の意見や演出家の意見も重要です。しかし、音符を書くのは、その意見を自分のものとした上で音楽を考える自分です。

音楽は、社会的な活動です。聴きたい人がいて、私に音楽を作って欲しいと思う人がいて、私の曲を演奏していいという演奏家がいて、初めて成り立ちます。その中で、自分の思う音楽とは既に単なる個人のものではないと感じています。しかし、それは、私が自分の全責任において送り出す音楽のみが私が作曲した音楽だ、という前提で成り立っています。

商業的な世界や、行政的な行事で内容よりも外面的な(有名な××氏が作った)旗印が必要な時は、弟子や助手の手による作品、大御所がメロディだけ作りあとは別の人が作る楽曲が、その旗印の作曲家の作品として世に出ることはありますが、少なくとも、クラシックの音楽作品では、それはあまりありません(全くないとは言いません)。しかしそういったイベント的な音楽は、1度しか演奏されないことがほとんどです。コンサートで取り上げられ、会ったことのない演奏家にも取り上げられて演奏されていくことを念頭に置いて作曲する作曲家は、そのようなことは、まず、しないでしょう。

しかしこれは、美術の贋作の問題ととても似ています。スタイルが似ていれば、見抜けない人の方が多い。圧倒的に。また更に、演奏家の問題もあります。全く自分の作品を知らない人が、楽譜のみで私の曲を演奏した場合、私が思っていたこととはかけ離れた演奏になることがありか、それを聴いた人はそれが私の音楽だと思います。ピアノかピアニシモで悩むどころじゃないのです。

世の中には、音楽を利用して利益を得ること、栄誉を得ることを目的に活動する人も多いです。それに踊らせられる人も多い。ちゃんと訓練を積まないと、単に才能とかセンスでは達し得ないものがあります。今回の件では、最初から胡散臭いと思いましたが、佐村河内作品とされる曲をちらっと耳にした時に、一瞬でこれは別の人が作っていると分かりました。シャランやフォッシェというパリ音楽院の教授の和声テクストで勉強した人の特徴があったからです。私もそれで勉強しています。佐村河内氏の経歴から見て、これは不可能なことなのです。センスの問題ではないのです。こんなことは、全ての分野にあると思います。料理でも、手術でも、清掃の仕方、接客の仕方に至るまで。プロから見たら、この手はどこから来ているか、分かることが多いでしょう。」(以下略)

 

(2)森達也さんの発言その2

「新垣さんや神山さんの側から見れば、森は佐村河内に騙されてるとか、取材が足りない

とか、共犯だとか思われるかもしれない。視点は個人で違う。とにかくゼロかイチかにな

ることが嫌なんです。・・・嫌というか、それは正しくない。そして貧しい」(【森達也氏

インタビューより】)

 

当社は、「ゼロかイチになること」を演出しているのは佐村河内氏本人であるという認識です。「全聾のクラシック作曲家」(=「現代のベートーベン」)という「大きな虚偽の設定」による「わかりやすい感動物語」こそが「イチ」であり、また、その「イチ」も2007年に出版された佐村河内氏の自伝(佐村河内氏はこの自伝出版に際し新垣隆が加担したと主張しているようですが、新垣隆は氏からの質問に答えただけであるという認識です。)に記述された幾多の虚偽の上に成立しており、更にはメディアを利用して(BPO見解ではメディアが嘘を見抜く事は困難であったと結論しています)拡大していったものです。

ここで「イチがゼロ」となった経緯とその理由を考えてみたいと思います。

2013年以降、巨大化してしまった虚構=「イチ」は、いつでも崩壊する運命にありました。なぜなら、クラシックの楽曲は、様々な技術により音が紡がれており、当然のことながら作曲者がそれを理解していないという事は、クラシック音楽の世界ではあり得ないことです。事実、このことを指摘する専門家もいました。また、この「巨大化した虚構」により増長した佐村河内氏に服従を迫られていた被害者(=佐村河内氏が弟子としていた少女)が存在しました。被害者を救うためには、彼の暴走を止めなければいけませんでした。その手段が、新垣隆の謝罪記者会見でした。佐村河内氏の自伝で描かれた「全聾」と「クラシック作曲家」を全否定した結果が、巨大化した「イチ」が反転して「ゼロ」と(必然的に)なった帰結なのではないでしょうか。

「ゼロかイチになることは正しくない」という森達也さんの発言自体には当社も同感です。しかしながら前述のように、必然的に「ゼロかイチ」の状態に陥ったこと。また、その状態が是正されずに今日にいたった原因も、すべては佐村河内氏本人にあると当社は認識しています。

なぜなら、今もBPOが指摘している「高度の感音難聴があったとは認められない」「多くの作品において佐村河内氏はプロデューサー的な役割であり作曲はしていない」という調査結果を、佐村河内氏自身が認めた痕跡はなく、被害にあった二人の少女たちへ彼は謝罪すらしていません。つまり騒動後の佐村河内氏の態度は、なんら騒動以前と変わっていないのです。しかし、映画ではこのことについては一切触れておりません。

また、新垣隆自身も「ゼロかイチ」のままである状態を憂慮し、著書「音楽という〈真実〉」を既に出版して騒動の顛末を語っています。森達也さんが当社に新垣隆の取材を依頼された際の当社回答として、BPOの見解とともに、新垣隆の著書を参照してくださいとお願いしました。しかし映画の中で著書が使用されることは一切ありませんでした。

このような森達也さんの「視点」には、当社としては大きな戸惑いを感じます。森達也さんの言葉を使えば、「騙されている、取材が足りない、共犯である」と当社が感じてしまうことは否定できません。

 

【5】今後の新垣隆の活動並びに過去の作品の著作権に関して

新垣隆の所属事務所である当社としましては、新垣隆の個展(コンサート)を引き続き開催いたします。

近日2016年8月15日、広島国際会議場フェニックスホール、2016年9月15日、福島市音楽堂、この2つの会場にて開催される新垣隆にとって約13年ぶりとなる新作交響曲の演奏会は、彼の新たな作曲活動の礎になるものと確信しております。

また、当社は、過去の著作権(財産権)放棄の方針は変わりませんが、今まで著作者人格権(人格権)を申し入れていた、少女に献呈された「ヴァイオリンのためのソナチネ」「ピアノのためのレクイエム」の2作品のみならず、新垣隆が作曲した佐村河内守氏名義の全ての器楽作品において、新垣隆のみが著作者人格権を有する事をここに明確に主張いたします。

 

以上が、映画「FAKE」に関する新垣隆の所属事務所としての当社の見解のすべてとさせていただきます。

 

 

平成28年7月8日

株式会社ノイエスアコルト