新交響曲「連祷-Litany-」新垣隆本人による紹介文を公開いたします。

◆ 13年ぶりの交響曲「連祷-Litany-」は8月15日(月)15時~広島国際会議場にて初演されます。S席:4,000円、A席:2,000円 (U25<要証明> 1,000円)。チケットのお問い合わせは「夢番地広島」082ー249ー3571まで。

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交響曲「連祷-Litany」・紹介

 2008年9月、『交響曲第一番』という、後に『HIROSHIMA』と題されるオーケストラ曲が広島で演奏された。それは広島出身である佐村河内守氏の依頼により私が彼のゴーストライターとして書いたものだった。2003年にスコアを渡し、報酬を受け取っていた。状況はエスカレートし、2014年、私はそれら一連の事実を公表した。多くの人々を困惑させ、振り回し、傷つけた。佐村河内氏と私は当然その責を負わねばならない。その様な事態にもかかわらず、私自身は多くの人達によって助けられた。教職を退く事に対し、多くの方が引き止めてくれた。また多くの方が作品と、それを具現化した見事な演奏を、評価して下さった。私は、その声に応えねばならないと思った。

昨年2月、東広島交響楽団の工藤茂さんとお会いした。楽団は2013年に『HIROSHIMA』を演奏して下さっていた。来る記念演奏会のために改めて私に作曲を、と工藤さんは仰った。もう一度、今度は自分の名において、そして自分の意志によって「ヒロシマ」に向かい合い、作品に取り組む事となった。「ヒロシマ」「ナガサキ」は私たち、つまり人類の共有する永遠の問題だ。原子爆弾が開発され、その地に投下された。なぜそれは起こったのか。私たちは常にその事を考え続けていかねばならない。1945年、8月15日から、やがて日本は奇跡的な復興を遂げた。その後の繁栄の中で私は生まれた。原子力は平和利用として電気を生み出すためのエネルギーとなり、私(達)はその恩恵を受けていた。そして2011年3月11日を迎えた。

「ヒロシマ」から「フクシマ」のあいだ―自分の生と関わる私にとって大事なこの時間の「記憶」を留めるためのひとつの装置として、今回の作品を構想した。果たしてそれは人々と共有出来るものに成り得るだろうか。

曲は3楽章に分かれるが、全体でひとつの大きな「ソナタ」を形成する。

【 第1楽章 】

冒頭、静かな、悲しみを湛えた祈りの旋律。作品全体の基調をなす。

その「ラメント」は自ずと様々な楽想を呼び起こす。アレグロ部においてそれらが疾走した先にこの章のもうひとつの中心となる「希望のテーマ」が現れる。幸福に満ちた旋律は、永遠に続いていってほしいと願いつつも、やがて以前の楽想が呼び戻され走馬灯の如く駆け抜けていき、飽和状態に達した時、音名による暗号、2つの地名のローマ字より取られた「H-F-Es(S)-A」がホルンセクションより提示され、この作品があるテーマを内包するものであるという事を刻む。更に楽章の最後には、戦前より活躍し、プロレタリアの立場からやがて戦争体制に協力し、その悔恨からふたたび帝国主義に抵抗する姿勢をとった作曲家、大木正夫(1901-1971)の交響曲第五番「ヒロシマ」(1953)へのオマージュを込めたシーンがある。

【 第2楽章 】

ここではまず、前の第1楽章(全体の中での序章でもある)に現れた数々のモティーフ(動機)が「動かない時間」の中で立ち現れては消えてゆく。方向性を見失いさまよう悲痛な旋律、粒子のような音の動き、土俗性を帯びたモティーフ、そして第1楽章の冒頭部で不吉な予告として現れたホルンの低音の動きが戦闘性を持った本来の姿をみせる、と言ったようなもの。それにしてもやはり時間は(実は)動かない。宙吊り状態が限界点を迎えたところで―作品全体の中間地点にあたる―《連祷-Litany-》と題された弦楽合奏によるもうひとつのラメントが現れる。作品のタイトルはこれに由来し、この部分は2014年に公開されたドキュメンタリー映画「日本と原発」に寄せた音楽からの引用である。

後、「Variation」と題されたシーンにより、音楽はようやく動きだす。軽やかな風に乗って、しかしやがてそれらはうねりを増し、金管によるファンファーレによるクライマックスを迎える。ふたたび「暗号」が今度は低音楽器によっても強調され、またふたたび音楽はある地点で淀み、この楽章の前半で現れた「粒子の音楽」が今度はひとつのチェロセクションによるハーモニクス音に置き換えられて、やがて消えてゆく。

【 第3楽章 】

フルートを中心とした管楽によるコラールから始まる。ここで突然時間軸が捻れ始め、様々なテーマが脈絡なく同時に現れ、混乱状態に陥る。ふと時間が静止する。もしかしたらこの作品の中で唯一、ある状況の音楽的描写であるかもしれない―ただそれが何であるかは言わない―。

重い沈黙から、かろうじて何とか音楽は―《Litany》の続きとして―再開する。その嘆きは1楽章冒頭への回帰となり、そのかつて一番静かだった部分が最も狂暴な貌となって―この作品では大太鼓が不穏を表すものとして大事な役割を担う―現れ、ふたたび静寂を迎える。…ただし今度は微かな希望を見出だすものとして。

静かに「連祷」のテーマは、その希望と共に紡がれ、遂にあの「希望のテーマ」をも呼び戻す。けれどもその時、実はあるベース音の上に―かつての『HIROSHIMA』と題されたものの冒頭部に―それはある。もう一度大木正夫の《運命の扉を叩く》テーマを呟く。希望か、それとも……時間は塑行し、「『HIROSHIMA』以前 」に回帰する。

新垣隆